j.home

メンタル不調で休職中の人の日記。たまにインテリア

私の肌色

 

私はどちらかというと、小麦色な肌色

 

いや、

小麦色、というより、、もうちょっと黒いかな

 

 

そんな日本人にしては濃いめな肌色で生きてきて

言われて嫌だったこと

感じていることを書いてみます

 

 

色鉛筆の”肌色”

 

まだ小さいころ、みんなでお絵描きをしていたら

『〇〇ちゃんは、肌色じゃないよ、茶色だよ』

と言われた

 

その子の絵の中では、

”肌色”(薄いベージュ?)で塗られた友達数人と

茶色で塗られた私が描かれてあった

 

何歳の時の誰とどこであった出来事かは

全く覚えていないけれど、

 

子供ながらにけっこうショックで

その事だけ、今でも覚えている

 

他にも

子供って残酷なもので

『なんで肌の色がちがうの?』

は聞かれたことあるなあ

 

地方で他の肌の色をした人を

見たことなかったから仕方ないよね

子供だもん

 

 

色の白いは七難隠す

 

これ。

思春期真っただ中の中学生のとき。

学年集会で国語の先生が放った言葉。

 

それプラスで

『だから女の子は日焼けに気を付けてね』

みたいなセリフとセットだった気がする

 

小学生のころに

他の子と肌の色が違うことに気が付いて

ずっと気にしていた私には刺さりましたね(笑)

女の子って白くないとだめなの?って

 

 

ちなみに母親はよくある日本人のカラーで

父親に似たわたしは

母親からも『日焼けしないように』

と言われ続けてきた

 

ま、外遊びが大好きな子だったので

元の肌色プラスもっと日焼けしてましたが(笑)

 

大人から言われると

本当に自分の肌の色に自信が持てなくなる

すてきな色ではないんだなって。

 

 

『黒すぎてブラジル人みたいw』

 

中学生のとき。

部活の大会とかで他校の男子に言われた言葉

運動部だった私は、これでもかってくらい日焼けしていたから。

 

純日本人です(笑)

なんて笑いに変えれず泣き崩れてしまったなあ

 

どこの誰か全く知らないけど

絶対こいつより幸せな人生歩んでやると

決めている(笑)

 

 

 

ほかにも色々あったけれど、

幸い、私は肌の色でいじめられたことはない。

 

泣き崩れたこの時も何人もの友達が味方になって

一緒に怒ってくれた

 

 

 

転機

 

子供~中学生ごろまでは

私だって同じ日本人なのにととても苦しかった

 

 

でも、多分海外の映画で

  • いろんな肌色があり、しかもそれが当たり前であること
  • 肌の色関係なく幸せになっていること

 

そんな場面を見て、世界が変わった

言葉で言い表せないくらい、救われた

 

それから海外に興味を持って

短期留学に行かせてもらえることになった

 

たった二週間だったけれど

今自分が生きている世界が、いかにちっぽけなのか

を知るには十分だった

 

 

大人になった今、思うこと

今は自分の肌は

この色が一番自分らしい、とおもう

 

たまに

運動神経よさそう

と言われるのが困るくらい(笑)

運動部だったけど、レギュラーじゃなかった(笑)

 

 

あと多分この肌色のおかげで

活発なイメージを持ってもらいやすく

(実際割と根暗だけれどw)

そのイメージ通りになろうともがいた結果

たのしい友達や周りの人に恵まれてるのかなあと

思ったりもします

 

 

自分の子供には

 

私の子供も、私と同じ肌色をしている

 

もうこの国際社会

そこまで気にする人はいないと思うけど

 

本人が同じことで悩んでしまうのは

やっぱり避けたい

 

  • あなたは、あなたのままで美しいということ
  • 世界はとても広いこと

 

この2点はしっかり伝えていこうとおもっています